子どもが世慣れてこその成人ですし、社会の構成員です。

とある研修で、「こどもとは?」の定義を紹介されました。
講師は、広辞苑から引用し、
まだ幼く世慣れてないこと
と、紹介していました。
これは、なかなか言い得て妙だな、と思います。
「世に慣れる」とは、「身の回りの世界にだんだん馴染んでいく」ということだと思います。
馴染んでいくとは、身の回りに対する理解と関係が、深く、スムーズになっていくことです。
理解につまづきがあると、知的障害と呼ばれますし、関係につまづきがあると、発達障害と呼ばれます。
世の中が高度化・複雑化・高速化すれば、身の回りに対する理解や関係の深め方が追いつかず、「遅れ」や「つまづき」があると見なされがちです。
これが、近年、「子どもの数は減っているのに、障害児が増えている」ことの、背景の一つだと思います。
世慣れることは、大事です。
世慣れてこその安心です。
子どもが世慣れてこその成人ですし、社会の構成員です。
一人では生きられない状態で生まれる子供たちを、世に慣れてもらうのは、大人の責任です。
放っておいて、育ちを支えずに、育ちきらないことを責めるのは、大人気ないと言わざるを得ません。
世慣れることがどんどん難しくなるのであれば、長い時間、丁寧に、育ちを支える必要が出てくるでしょう。大人の責任として。
児童福祉に関われば、子どもが世慣れるための大人のフォローが、いかに欠損したまま放置されているかに、唖然とします。
子どもの育ちが「世慣れ」ならば、親だけの力で実現するはずはないのに、あまりにも実親にばかり責が問われます。
子どもの世慣れのため、大人がもっと責任を負えるようにしていきたいです。