イドコロには正気と狂気をお伴にして

伊藤洋志さんの著書で、
という本があります。
イドコロというのは、とても重要なワードだと感じたので、
本を購入しました。
この本の中で一番気になったのは、
「正気」
「狂気」
という言葉の使い方です。
本書のはじめには、このように書いてあります。
本書で考える基本方針は、自分の意識だけに頼らず正気を失いにくい環境を考え、整備していこうという発想である
正気を失わない。正気を保つ。
そのようなことが重視されていることが分かります。
一方、エンディングに近づくと、
以下のような記述が現れます。
人間はそれぞれどこかに狂気を秘めてもいる。これは、人間の素晴らしき特性である。
僕はここで疑問を持ちます。
あれ?
正気を保ちたいのか、狂気を生かしたいのか、どっちなんだい!?、と。
著者なりの「正気」の定義を確認するとこのようになります。
正気とは、社会にとって無理のない判断ができ、他者との対話の可能性を維持できる状態だ。
ここで、社会にとって無理のない、というのは、
「社会に合わせろ」ということが言いたいのではなく、
「異常で妥当性のない常識にも呑み込まれずにいられる」ということを指しています。
そして、「狂気」とは、
一種のバグであり、世の中が刷新され変わるために必要なもの
という位置付けになっています。
定義ばかりに触れていてもつまらないので、
イドコロにおける正気と狂気の関係について、
整理したことを書いてしまいます。
人間が繁栄できたのは、
変化に適応し、多様な文化を築いて来たからです。
正気を保つからこそ、適切な判断ができるし、
狂気を秘めるからこそ、多様な文化を築き得る。
正気を保ちながら、
安心して狂気を発露できるイドコロ。
これが複数あると、人間は人生が楽しく、
ある意味強くなれると思います。
だって、バグを隠さずにいられて、
バグを楽しめる仲間がいるって、
幸せじゃないですか。