共同作業が織りなす新しいコミュニティづくり
以前、「効率化」が、本当に事態を好転させるのだろうか、という記事を書きました。
トヨタの「効率化」の寄付は、本当に役立ったのか。ボランティア支援の難しさ | Big yesな日々をプロデュース
今回もまた、「効率性」に関することを書きたいと思います。
地方ではずいぶん前から過疎化が問題になってきましたが、これからは都市でも人口が減り始めます。
〈流動性の高い人口増加社会〉から、〈定常性の高い人口減少社会〉へ変容していくのです。
しかも、超少子高齢化の社会です。
会社中心に生活してきた方々が退職されて地域に戻ってきます。
人口が減り、子どもが減り、お年寄りが増える。
それでもよりよい社会、元気があり、のんびりもできる社会をつくっていくには、新しいコミュニティの形成をしかけていく必要があります。
その軸となるのは、共同作業でしょう。
新しいコミュニティをつむぐための共同作業は、非効率であっても、あえて仕事を作ることが大事になります。
共働の作業をしながら、一緒に苦労して、語り合って、関わり合って、報われる。
そこに安心や幸せや元気が生まれます。
なんでも効率化して、機械化して、作業を減らしていくことだけが、善ではありません。
高齢者福祉はもちろん、障害福祉の事業所では、そのノウハウがけっこうたまっているんじゃないかと思います。
そのノウハウの中には、地域づくりのための重要な示唆がたくさんあるはずです。
ぜひ開放していただきたいものです。
もしくは、そういった「高齢者向け」「障害者向け」の枠組みにとらわれず、「地域の誰でも」が共同作業できたり、過ごしたりできるパワーを持っているのが、「居場所づくり」と呼ばれる取り組みです。
なかなか評価されにくいのですが、重要な取り組みです。
ただし、非効率でいいし、共同作業が大事とはいえ、価値のないものをつくっていては、作業も活動も廃(すた)れていくでしょう。
きっと、むなしさに耐えきれないはずです。
地域のものを使い、地域に住まう人で、地域に必要とされることをやっていく。
そうなればいいな、と思います。
でもそこは難しいところで、イノベーションやアートは、一見不要と思われるものから生まれることだってあるから、全否定してはいけないんですけどね。
役割、ニード、デマンド、自主性・・・それらが織りなす活動が望まれます。