みんなで、何をするわけでもなく、ただ”いる”という時間

みんなで、何をするわけでもなく、ただ”いる”という時間

かみさんが体調不良のため、午後は仕事をお休みさせていただきました。

 

いろいろ用事が終わってから、しばらく家の居間で、おやつを食べたり、紅茶を飲んだりしました。

家族みんな一緒にいる場で。

 

こういう時間って、ありふれているようで、意外とないのです。

 

僕はやりたいことがたくさんあるので、かみさんが子どもをみれるときは、自室にこもったり、居間でもパソコン作業をしたりしています。

僕が子どもをみれる時は、かみさんも家事とかいろいろしています。

 

 

だから、みんなで、特に何をするでもなく、居間でゆっくりする時間って、あまり無いのです。

昨日は、それがありました。

 

なんて言うか、時が止まったというか。

空間的な一体感というか。

なんともいえない感覚がそこにはあったんですね。

ただ、そこに"いる"、という感じ。

いるのが、あたりまえという感じ。

 

表現の拙さに自分でもがっかりしますが、そういうなんかいい感じの空間が生まれたのです。

 

そういう時間って、とても大事なように思えるのですが、なかなかできることではありません。つい、何かをしたくなるのです。

でも、「そういう時間が大事なんだ」って思うことで、少しでもそういう時間を作ることができるとは思います。