いつ、どこで生まれ、育つのかなんて分からない。意識的につながらないと、あっという間に絶縁になる。
生まれ落ちたところに養い手がいて、大きくなったらすぐそこに仕事があって、身の回りにあるもので飲食を済ませ、老衰したらそこで死んでいく。
そのような、流動性が低くて、一箇所にとどまって一生を終える社会であれば、意識しなくても血縁や地縁のつながりがあります。
でも、流動性が高く、いつ、どこで生まれ、育つのかなんて分からない社会では、血縁や地縁が簡単に途切れてしまいます。
それでも「家族」は血縁に、「地域」は地縁に基づいていることがストーリーの基点にあり、そのストーリーに乗れない人は、絶縁の中で苦しく過ごすことになる。
一方、もともと血縁のないところから始まるストーリーもある。
里親、里子の家庭である。
里親、里子の家庭では、意識的に、「家族になっていく」。
そこでの苦悩と工夫は、例え血が繋がっている家族であっても、参考になる宝が詰まっている。
ただ単に、血が繋がっているだけに安堵した家族形態よりも、意識して家族になろうとしている家族形態の方が、豊かなものもあるにちがいない。
そしてこれから都市化が進み、人口の流動性を高め、血や地の縁を失ったところから始まるストーリーを生きる世界中の人々にとって、意識的に「家族になろう」とする家庭の苦悩や工夫は、発信すべきお宝の詰まった情報なんだろうと思う。
日本では、「富山型デイサービス」が、その先駆者である。
「富山型デイサービス」世界へ! 創始者がナイチンゲール記章受章 | helpman japan