震災も戦災も、薄れる記憶に嘆きながら、不幸を繰り返さない仕組みを作り続けよう

もうすぐ、東日本大震災の起きた、3/11がやってきます。
おそらく、震災の記憶の薄れを嘆く言説が、日本中を覆うでしょう。
震災であろうと、戦災であろうと、記憶は薄れるものです。
薄れることが、人としてダメなわけではありません。そういうものなのです。
薄れないように頑張って思い出しても、やはり記憶は鮮明さを失っていきます。そういうものなのです。
だからこそ、不幸を繰り返さないための仕組みをつくることが、「次の行動」として求められます。
震災による不幸はなにか。
戦災による不幸はなにか。
不幸を繰り返さないための仕組みを動かし続ける「意義」を保つこともまた、継続の難しいことです。
「記憶」だけに頼らない。
言語化し、映像化し、表現を磨き、意義を保っていきたいものです。