目的がないからこそ意味がある。居場所をどうやってつくっていこうか。
最近は、よく伴走型の福祉支援の話を聞く。
伴走者はね、必要だよ。
地縁も血縁もない環境で、だれにも頼れなかったら、生きていけないから。
これまでもこれからも、ずっと近くで走り続けてくれる人はね、必要。
その一方で、「居場所」という話がある。
人ではなく、場所だ。
自分の居られる場所。誰でも居られる場所。
居場所の最大の強みは、目的がないこと、なんだよな。きっと。
目的がないからこそ、誰にとっても、居場所になる。
目的がないんだけど、人が集まれば、なんかやりたくなるものだ。
なんかやりたいときに、一緒にやりやすい人間がいたり、のってくる人間がいたり、ものしりな人間がいたりすれば、盛り上がる。
エンジンがかかる。
何かやろうとする中で、街にあるちょっとした組合とか団体が、若者にとってものすごい体験をさせてくれる貴重な地域資源にだってなっちゃうんだ。
自分で考えて、自分で楽しめば、あとで自分を支えてくれるいい思い出にもなるし、その自信が大事なんだよな。
ただ、目的がないからこそ、税金が出しにくいという面もある。
なんのために?誰のために?効果は?よくわかんないものに出す税金があるんなら、はっきり明確に困っている人のために出しなよ、と。
もちろん、説明もできないことに税金を使っていたら、批難を向けることは大事だよ。
無駄遣いしている余裕なんて、無いからね。
だから、説明できればいいんだ。
そして、市民が納得すれば。
じゃあ、どうやったら市民に納得してもらえるのか。どうやったら市役所の上の方まで説得できるのか。
やっぱりデータはほしいところ。
最近は、行政や企業の持っているデータを、広く利用・活用できるようにオープンデータを進めているけど、まだまだ「持っているデータをいかにオープンにするか」という段階のようだ。
でも、データが役立つことを知っているんだったら、「いかに数値化しにくいものもデータ化するか」という方向だって検討されていい。
「持っているデータを開放していく」というベクトルと、「持ってないデータを数値化していく」というベクトルは違ったものだから、ずいぶん先の話になっちゃうかな。
どこの自治体にもITを推進活用する部署くらいあるだろうし、そこと福祉がつながれば、きっちり市民に説明できるいい資料を作っていけないものだろうか。
タブレットだってどんどん普及させて、画面をちょんちょんつつけば立派なデータになっちゃうような、いや、操作すらいらず、日常記録が自動的にデータ化しちゃうような、そんな仕組みをつくりたい。
とにかく、福祉現場の肝は対人支援なんだから、データ化とか資料とかに苦労をかけるもんじゃないと思う。
そんな暇があったら、利用者と一緒にいたり、仲間と飲みに行ったり、家でボーットしたり、そういう時間にあててほしいからね。
福祉とITとか、公務員とITとかって、なんか縁遠い世界な感じがするんだけど、幸せな関係になれるはずなんだ。