話し言葉の拙さを、絵画や造形に求めていたんだろう、きっと

僕は、話し言葉が、苦手です。
小学校のとき、人前で黙り込んでしまったこともあるし、今でもずっと苦手です。
福祉の仕事をしていてなんですが。
こんな僕でも得意と言えるもの、好きなもの、人よりも貢献できるものってなんだろうと考え続けているのですが、僕は今まで「美術」が好きであったことに思い当たりました。
小学生の頃から、よく漫画を描いていました。
中学生の頃は、合唱コンクールのCDジャケットに、僕の絵が選ばれました。
高校の頃は、選択授業で<美術>を選び、油絵をしょっちゅう描いていました。
大学受験の頃は、たまの息抜きに、美術館や個展巡りをしていました。
社会人になってからは、絵画のカルチャー教室に通いました。
今でも、テレビの「日曜美術館」と「美の巨人たち」は、毎週録画して観ています。テレビを見る時間がない中での、絞り込んでの選択です。
この「美術好き」が、いったいなんなのか。僕の性格特徴の中で、どういう意味づけなのかは、長らく自分でも疑問に思っていました。ただの趣味嗜好であるとしか思えませんでした。
しかし最近、何となく分かってきたことがあります。
それは、「話し言葉が苦手だからこそ、絵画や造形に、自分の表現を求めていたのではないか?」と。
表現自体は好きなのです。
だからこうして、ブログも書いています。
ブログは、癒しです。
話し言葉としては、どうにももどかしく表現しにくい部分を、別の方法で表現することを求めていたし、達人の表現に驚きやワクワクを感じていたのです。「こんな表現があり得るんだ・・・。すげえ。」と。
そして、だからこそうまく自分が表現できずに、人と衝突し、悶々とし、悩み、ふさぎこんでしまう子を、助けたいとも思うのです。その気持ちが、少しはわかるから。
そんな折、SnowBellさんが、ブログでこういうことを書いていました。
そんな話をアドラー心理学の学びの場でしてみたら、感情をどう表現していいか「わからない」のではなくて、「できない」と教えてもらいびっくり!
しかも男子は特に顕著だとか(^^;;
話すのがめんどくさくて、「わからん」って言ってるかと思ったら、本当に自分の気持ちを表現できないとは思ってもいませんでした。
子供に「どう思った?」「どう感じた?」と聴いてみよう アドラー心理学『勇気づけ」につながる聴き方 | ずっと
そうか。話し言葉が苦手なのは、やっぱり僕だけじゃなかった。
というか、男の子には顕著なんじゃないか!
ここには何か、貢献できることがありそうです。
僕の中で”表現”というものに対して、向き合い方が変わってきています。
自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)
青春出版社
売り上げランキング: 1,783
岡本太郎氏の芸術論は、”表現”と”生きること”を見事につないでくれます。