経済成長なき清貧思想。定常経済モデルはまだ信用できない
定常経済モデル、という提唱があります。
経済成長を目指すのではなく、成熟した経済社会を目指すというような言われ方です。
24時間企業戦士を求める社会にはさすがに愛想を尽かし、スローダウン、スローシフトで生きたい人が増えているんですね。
定常経済モデルという言葉には、不思議な魅力があります。
「贅沢はできないけど、そんなにがんばりすぎず、みんなで協力しながら、ゆるく生きていこうよ。」みたいな、理想郷がイメージできます。
昔からよくある<清貧>の思想ともマッチすると思うんですよね。
貧しくとも、清く正しく生きていくのがいいんだ、と。
僕はその考え方に、不思議な魅力を覚えつつも、どこか信用できない危うさも感じています。
そんなにうまくいくもんかね?と。
だって、経済成長を目指していても、景気は悪くなることはよくあるでしょ?
経済成長をあきらめたら、めちゃくちゃ貧しくなるんじゃない?
耐えられないほどの貧困社会になるんじゃない?
福祉の財源も減るから、頼れる人が少なくなるんじゃない?
そんな不安があるので、経済成長なき清貧思想。定常経済モデルには、いまいち乗っかれません。
いや、僕の勉強不足で、「定常経済モデルは、そういうことじゃない!」と言われるかもしれないので、もっと勉強してみますが。