どんな人でも働き、社会に貢献でき、収入を得ることができるという、まちづくりをしたい
働き方に多様性があったほうが、色んな人が仕事することができ、それによって生活の糧を得ることができるし、生きがいも得られる。
働き方を縛るほど、その形になじめず、「働けない人」が増える。
高齢であったり、障害であったり、子育てだったり、介護であったりして、働き方が柔軟でないと、「働けない人」になってしまうのは、とてももったいないことだ。
社会にとっても損失だし、本人にとっても辛いこと。
問題の一つは、柔軟な働き方によって、安心できる最低限の生活でも保障されるのかどうかということだ。
安心した生活ができるのであれば、働くためのインセンティブにもなろう。
そのためには、生活保護系の制度が、柔軟に使えないといけない。今は、経済的困窮に対して、生活保護くらいしか福祉制度がなく、敷居が高い。
2015年度から開始した生活困窮者自立支援法が、どのくらい柔軟に応えられるのか、ちょっと怪しいところもあるけど、少しずつ変えていけたらいい。
生活保護自体の運用を、もっと柔軟にする方法もあるんだけど。
もう一つの問題は、柔軟な働き方に適うような仕事が、常にあるかどうかも難しい。
経営者にしてみれば、一定の能力の人が、一定の時間作業をしてくれたほうが、計画的に経営できる。先々を見越して、仕事を変化させたり調整できたりしやすい。
でも、労働力が不安定だと、どのくらい仕事を増減していいのか、変化させていいのかが分かりにくくなる。
安定して基準をクリアした生産性を持つ会社に仕事は集まるだろうから、生産性が低かったり不安定な会社には仕事が集まらず、結局「働けない人」を増やすことになりかねない。
不安定な労働力でもやりくりできる程度の、常にある仕事。
それが、悩みだ。
人間が生活する上で、必ず発生する作業を仕事にすれば、仕事は常にあることになる。
飲食、更衣、美容、排泄、入浴、掃除、移動など。
仕事にするならば、一定の質や量を、完結させてもらいたいものだ。
一人一人の労働力は不安定であったり、生産性が低くても、多くの人員が柔軟に出欠すれば、なんとか毎日一定の仕事量はこなせるだろうか。言ってしまえば、シフトの調整だ。「もっと働きたいのに、シフトに入れてくれない」なんて事態もあったりする。
あるいは、得意分野をうまく組み合わせることで、うまく歯車を回すことができるか。
労働者を、ただの便利づかいするわけではなく、一人一人の希望に応えながら柔軟に働いてもらい、会社に課せられた仕事も完結できるようにする。
それが、マネジメントできるようになりたいし、簡単にマネジメントできるような仕組みを作らなければならないと思う。
そういう組織を作ることができたら、どんな人でも働き、社会に貢献でき、収入を得ることができるという、素晴らしいまちづくりになる。
僕は、それをやりたいのだ。