「感情≠自分」。それは分かってた。さらに、「思考≠自分」!?
ツナゲルアカデミーという連続講座があって、いつも参加しております。
ツナゲルアカデミーの目的の一つに、 「こころとからだをつなげる」 とありますが、今回はこころとからだをいったん離してみた、というような感覚がありました。
自分の中に怒りという感情がある
例えば、 自分は怒っているのではなく、 自分の中に怒りという感情がある というフレーズが紹介されました。
もし、「自分は怒っている」 だと、自分のすべてが怒っている状態だと捉えられます。
しかし、 「自分の中に、怒っている感情がある」 だと、それは自分の中の一部の変化であって、自分のすべてではない。そういうように思えます。
こころの動きを、客観視している自分がいる。あたかも、こころとからだがいったん 離れるかのような感じです。
感情≠自分。
おそらく、「自分の中に、このような感情がある。このように感じている。」と離れてみてこそ、やっと自分がわかってくるのではないかと思います。
感情に支配されてしまっては、きっと自分を見失ってしまうのでしょう。 「我を忘れる」 という言い回しもありますし。
自分の感情に気付くためには、普段から自分の感じるもの、心の動きに耳を澄ませて、素直に受け止めていくという習慣が必要なのだと思います。
スポンサードリンク
思考≠自分…!
思考=自分 ではない。
そのように紹介されました。
思考は、自分の中に組み込まれている「プログラム」である。
プログラムとは、「こうでなければいけない」「こうするべき」「こうあってはいけない」そのような思考回路です。
目の当たりにしたことが思考回路に触れると、感情という雲がもくもくと発生します。
だから、思考を組み替えたり、アンインストールして、新しいプログラムを入れたりすることで、感情も変わることがあるのです。
今までの僕でも、感情は一時的なものであり、自分自身ではないことは分かります。
でも、思考も=自分ではないというのは、驚きの指摘でした。
以前も大塚彩子さんから聞いたことのある話がリンクします。
「生まれてからの、その時々を乗り切るために身に付けてきた成功の経験則が、思考プログラムとして固まっている可能性はある。
今までに築き上げた思考プログラムには、ありがとうを言ってお別れしてもいい時期は、くる。」
うん。丁寧に自分の気持ちをすくい取り、思考を変えていくこともしていこうと思います。
これからはまだ体験したことのない未来を生きるのだから、経験則にばかり縛られてもつまりません。
LEAVE A REPLY