弱い自分を守るために必死で築きあげてきたマイルールこそが、これからの自分にフタをしてしまっている

「自分が我慢することで、周りとの関係がうまくいく。」
これは、僕が身に付けてきた、大事な処世術です。
数々の場面で、救われてきました。
だから、これからもこの原則に沿って、いろいろな波を乗り越えようと思っていました。
でも、先日セラピストの方に話を聞いてもらったら、「実はこの原則こそが、自分の本当のやりたいことに、フタをしてしまっている」という指摘をしていただいたのです。
たしかに、家族とも同僚とも、うまくやっていきたい。
いさかいごとが嫌いで、穏やかに生きていきたい。
周囲とうまくやっていくためには、自分が我慢すればいい。
だから、本当にやりたいことができない。
言われて気付いたのですが、客観的に眺めてみれば、そのとおりです。
自分の幸せと、周囲の幸せが、天秤の関係になっている。
これを、
「自分が本当にやりたいことをすることで、周りも喜ぶ」
というように変えなければならないんですね。
すごく居心地の良かった
「自分が我慢することで、周囲との関係がうまくいく」
という原則を、卒業しなければなりません。
セラピストさんは、「卒業」という言い方をされました。
「今までが、間違っていたわけではない。でも、もう着てる服が小さくなってしまったんじゃないかな。」
とても優しい指摘の仕方です。
「周囲のために、自分が我慢する」
というのは、ある意味、美徳のようにも思えます。
でも、違うんですよね。
自分が傷付きたくなかったんです。
痛い思いをしたくなかったんです。
自分の言ったことで、責任を負いたくなかったんです。
弱くて傷付きやすい自分を必死で守るために、周囲の人を優先してきたんです。
その割に、うまくいかなかったら、けっこう周りのせいにしてもきました。
「自分は間違ってない。周りが悪いんだ。」
「でも、自分が我慢すれば、なんとかうまく回るから、我慢しとこう。」
これは、美徳というより、悪徳に近い方じゃないですかね。
卑怯とか、臆病とか、そういう方面です。
びくびくしているのです。
さてここから、どうやって居心地の良かった原則を、卒業しようか。
セラピストさんからは、
「自分の小さかったころを振り返ってみてください。だいたい、このようなことは、自分が小さかったころに原因があります。」
というように言われています。
前から書きたいと思っていた、自分史づくりをするのは、いい方法でしょうね。
かっこよく書くんじゃなくて、ドロドロした、さらけだすのもこわいくらいの、ありのままの自分を書いてみたいと思います。
その過程で、臆病な自分も、傷つきやすい自分も、あまりよくできない自分も、それでいいんだと受け入れ、安心させられることができたら、次に進めるのでしょう。
セラピストさんは、こちら。
心理セラピストであり、音楽療法士・作曲家の大塚彩子さんです。