発達障害を理解するための2つのキーワードは、人としての<連続性>と<異質性>
発達障害という言葉が、子どもだけでなく、大人にも当てはまると話題になっています。
でも、やはり「障害」という言葉がついているだけに、あまりよくない言葉として使われている例もあるようです。
精神科学教授の青木省三氏は、発達障害を理解するためには、<連続性>と<異質性>という2つのキーワードが必要だと言います。
それは、10年くらい知的障害や自閉のある方を支援してきた、僕の考えともマッチします。
今回は、この2つのキーワードを、僕なりの考え方で紹介しようと思います。
<連続性>とは、言い換えれば、
我々は、人類なんだから、だいたい同じようなものなんだ。
ということです。
コミュニケーションのとりにくさだって、相手の気持ちの察しにくさだって、こだわりだって、誰でも多少なりとも抱えている。
たまたま尖った形で行動に現れたり、それが許容できない社会だと、発達障害として捉えられることがある。
でもそれは全く理解できないものではなく、自分とどこかつながっている感覚なんです。
人としての“類”なのですから、そう大きくは違わない。
「あ、ちょっと分かるかも」
ということは、けっこうあります。
<異質性>とは、言い換えれば、
我々は、個体なんだから、すべては分かり合えない。
ということです。
違う個体ということは、それぞれが別の条件で感じ、考え、動いていることになります。
相手のことについては、想像することはできますが、すべてを完璧に理解することなどできません。
時に、その異質性は強烈であり、まったく理解できないと思えるような事態にも立ち会います。
人はそれぞれ、異質である。
自分もまた異質である。
始めから善悪や正誤があるわけではない。
お互いの異質性を尊重しよう。
そのように、異質性を認めるところから展開ができるのです。
「我々は、だいたい一緒なんだ。だから、まったく理解できないことはないんだ。」
「でも、みんなが別々に生きているんだから、それぞれの感じ方やあり方は尊重すべきなんだ」
そういうことになります。
<連続性>と<異質性>という2つのキーワードから、みんなが生きやすい社会にもなっていくのです。
発達障害を考えるのは、豊かな社会を築くきっかけにもなります。