僕はかみさんと2人でいることで、やっと「休息」を得るのかもしれない。のろけじゃなくて、エゴイスティックな話として
僕が好きなブロガーさんの中に、リュウ(@RyuNagayama)さんという方がいます。
リュウさんは最近、【鬱日記】という記事を続けて書かれています。
いつの頃からか僕は、どうやって休むのかがわからなくなっていた。【鬱日記4】 | CLOCK LIFE*
@RyuNagayama ...
この記事の中で、僕の生活にも近い部分があったり、たまたま昨日書いた記事とも響くことがありました。
かみさんとののろけ話ではなく、エゴイスティックな話として書きたいと思います。
いつでも何かに追われている感覚、何かをしなければならないのだという焦燥感が、僕を苦しめているみたいだ。
引用 - 【鬱日記4】 | CLOCK LIFE*
僕は、もともとやりたいことがたくさんあるけど、どうにもうまくさばけないという悩みを抱えていました。
そして、画期的なタスク管理の手法やツールと出会い、ずれていた歯車がよく噛み合うようになりました。
一方、ぼーっとしている時間がたしかに減ったのです。
無くなったと言ってもいい。
トイレに入れば、iPhoneで新聞やブログをチェックします。
風呂でも、iPhone(風呂専用の旧型)を持ち込んでいます。
自転車に乗ってても、ビジネス系のオーディオブックを聴きます。
タスク管理によって、いつでもそこに「次にやること」が明確であり、それは「いつでも何かに追われている感覚」と似たものがあります。
自分では、追われているのではなく、追っている。振り回されているのではなく、振り回していると思っています。
でも、時に、追われ・振り回されるという感覚になることもあります。
何かをやっていないと落ち着かない。回遊魚みたいに、動いていないと死んでしまう、そんな身体になってしまっていたのかもしれない。
引用 - 【鬱日記4】 | CLOCK LIFE*
僕はごくたまに、平日の日中、家で1人だけの時間があります。
きっと一般的には、「それは好きなことできるし、リラックスできるだろうね~」という状況です。
でも、日中に1人でいる僕は、忙しいのです。
膨大な「次にやること」が目の前にリストアップされており、すべてが理想的な自分の人生につながっています。
これはもう、やるしかないでしょ。
わずかな時間も惜しむように、次々とタスクを消化します。
家族が家に戻ってきて、かみさんに
「ゆっくりできた?」
と訊かれたとき、僕は決まってこう言います。
「つかれたよ。忙しかった。」
「やりたいことができたけどね。」
昨日の記事で書いたように、ホント久しぶりに休息を得ました。
「これが休日だよな…」とつぶやいた、子どもを預けて夫婦でお出かけした日 | Big yesな日々をプロデュース
それは、かみさんといることで、自分だけの好きなことができないからでしょう。
2人で楽しむんだから、「次にやるタスク」の出番はほぼ無い。
買う物リストとして、Tシャツや弁当箱はありました。
でも、2人でわいわい言いながら選んで、あーだこーだ言いながら買って、2人で満足するというプロセスの中に、「次にやるタスク」は介在しません。
そうして、UFOキャッチャーも、ショッピングも、ドライブも、すべてがタスクに追われることなく、時間の経過を忘れて、ただ今を過ごすことができたのです。
これは、1人でいては、けしてできません。
1人でいては、1分を惜しんで、「次にやるタスク」をどんどんこなすからです。
鬱々としたときには、かみさんと2人で出かけることが有効だということを示しています。
のろけ話ではなく、エゴイスティックな話として。
リュウさんの記事は、まだ続きそうです。
ちょっと心配しながらも、いつものように、更新記事が読めることを待ちたいと思います。