一見ささやかなことであっても、状況によっては、超重要事項になり得る
それが、ささいでどうでもいいことなのか、それとも重要で確実にしておきたいことなのかは、状況によって変わります。
ここでは、ボールペンの替え芯で考えましょう。
ボールペンの替え芯。
値段にして、80円くらい。
ほっそりしてて、すぐにどこかへまぎれてしまう。
とても存在感の薄いものです。
この替え芯をバッグに入れておくことに、どれだけ気を遣っているか。
僕は、確実にバッグに入れておくようにしています。
替え芯を使ったら、すぐに買い物リストへ書き込みますし、替え芯を入れる場所も決めていて、いつでも持ち歩いている状態です。
替え芯がないと、「書きたい時に、書けない」という状況が生まれ得ります。
これは、どうしても避けたいですね。
「書きたい時に、書けない」という状況が、研修のときだったらどうでしょう。
ただ聞き流すだけですから、学びの質が圧倒的に劣化します。
会議のときだったらどうでしょう。
覚えておくべき情報を漏らし、発言すべき意見を逃し、あとでやるべきタスクを忘れることにもつながります。
会議の重要性によっては、自他へ及ぼす影響が大きなものにもなります。
ひらめきがあったときだったらどうでしょう。
ひらめきはすぐに頭の中から失われるものですから、書き留めないことにより、永遠に貴重なアイデアが失われます。
このように、金額的にも存在感的にも小さなボールペンの替え芯が、状況によっては多大なる影響を及ぼしてしまうのです。
ここで、「他人に借りればいいじゃん」とか、「携帯に打ち込めばいいじゃん」とかいう代替案があることは、承知しています。
僕が言いたいことは、
一見ささやかなことであっても、状況によっては、超重要事項になり得る
ということなのです。
ボールペンの替え芯は、その例として、象徴として提示したもので、他のいろいろなことにも当てはまるはずです。
ですから、
「まあ、この程度のことはどうでもいいか」
とみなすかどうかは、ちょっと考えてみたほうがいいかな、と思っています。
神(重要事項)は、細部に宿る