自分に安らぎと自由を得るために、家事・育児をしているという面もあります
僕が、家事・育児にも力を入れていることを書いたりしていると、「イクメン」や「優しいパパ」などのお褒めの言葉をいただくことがあり、嬉しく思います。
一方で実は、後ろめたい気にもなっています。
なぜなら、家事・育児に力を入れるのは、何も家族のためだけではなく、けっこう自分のためという気持ちも大きいからです。
自分が安らぎと自由を得るために、家事・育児もがんばると言ってもいいのです。
安らぎを得る
どういうことかというと、家事・育児っていうのは、ものすごくやることがたくさんあって、悩ましく、負担のかかることなのです。
共働きとはいえ、メインはかみさんがやってくれるのですが、やることが多すぎると、かみさんはさすがにイライラするんですね。
かみさんがイライラすると、家庭の雰囲気が一気にピリピリしてしまいます。
僕も居心地が悪いのです。そういうのって、嫌なんです。
かみさんがニコニコしていると、家庭の雰囲気がとってもほのぼのするんですね。
そういう雰囲気って、好きなのです。
だから、男女平等だとかそういう立派な理念は頭の隅にはあるものの、それよりも、自分に安らぎが欲しいがために、家事・育児をするという気持ちも強いかな~。
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自由を得る
また、かみさんには自分の時間がないのに、自分だけが好きなことをするわけにもいきません。
極力、僕もできることをして、かみさんにも自分の時間を持ってもらいます。
話し合って「僕の分担は、これ」と決めておいて、それをできるかぎり短時間で済ませます。
そこでやっと、僕にできることはやりきったから、だから僕に自由時間をください、と言えます。
そのようにして、晴れて家庭を離れて、外へ出かけることができるのです。
自由だ~~~~~!
結局は、自分のため
僕はけっこう、外での活動をしたい派です。
自分の可能性を最大限に発現させ、世の中に与える良い影響を最大にすることをミッションとしています。
そのためには、外に出て、セミナーやシンポジウムなどで勉強したり、いろいろな人とつながったりしなければなりません。
それが、楽しいのです。
結局は、自分のためです。
自分の安らぎと自由を得るために、家事・育児にも力を入れているので、褒められるとちと後ろめたさもあるんですよね。
そんなたいした者じゃないんです、と。