〈やり・とり〉が抱えるズレという火種が発火するのは、〈やる〉ほうも〈とる〉ほうも要因があるものだ
以前、やりとりは、ズレという火種を抱えているという記事を書きました。
やりとりは、常にズレという火種を抱えている | Big yesな日々をプロデュース
この火種を発火させやすいのが、発達障害という状態です。
「発達障害という状態」という言い方になるのは、発達障害をもつ当人だけに要因があるのではなく、周囲の人にも要因があることを言いたいからです。
〈状態〉のほうに、重きを置きたいのです。
意図を伝える
人が自分の意図を伝えるには、主に言語を使います。
言語は文化の中で使い方が決まっているので、そのルールに従った使い方をする必要があります。
ルールは育ちの中で学んでいくものですが、すべてが明文化されているわけではなく、すべてを明文化できるわけでもなく、生活の中で自然に身に付けるものも多いです。
中には、なにが正しいルールか分からないものもありますし、状況によっては白が黒にもなったりして、なかなかに複雑です。
当然、間違って身に付けるルールがあるのですが、発達障害と呼ばれる子は、一度身に付けたルールを容易に変えられない場合があるようです。
もしくは、応用がききにくかったりします。
それが表現の拙さやズレとして、自分の意図を伝える際の不具合となるでしょう。
「なんか、妙な感じがする」という違和感をもたらします。
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意図を受けとる
他人の意図を受け取る時は、人は言語や表情やふるまいから、理解したり察したりするものです。
そこにも、文化におけるルールや応用が求められるのですが、発達障害と呼ばれる子にとっては難しい面があります。
言語一つとっても複雑怪奇な構造をしてますし、表情やふるまいってパターン化されにくいですから、誤解してしまいます。
なんとか自分の経験や知識をフル動員して理解しようとしても、誤解してしまうことがあるようです。いや、誤学習した知識をフル動員しようとするほど、ズレが大きくなってしまうでしょう。
「いやよ、いやよも、好きのうち」なんていうのは、まったくもって、けしくりからんことですよ。
面従腹背なんて、うそつきじゃないか!
人間自体が、なんていうか、複雑な感情を持つし、自分勝手だし、愛おしいものなんですよね。
・・・と、脱線をしつつ書いてきましたが、
発達障害においては、〈やりーとり〉におけるズレが発火しやすいものです。
でもこれって、まずもってヒトであれば普遍的に抱えている状態だということを認識しておきたいです。
〈やりーとり〉におけるズレは、当然、個体に付属するものではなく、人と人との間で発生する状態。
その不具合が、生活に支障をきたすくらいになったら、発達障害です。
それを、「発達障害は、脳機能障害です」なんて言ったら、個体の問題になってしまう。
あまつさえ、「じゃあ、すぐに薬飲みましょう」なんてことになってしまう。
いや待って。
当人に何かしら〈やり・とり〉の拙さがあるとしても、もう一方で〈やり・とり〉するほうには問題がないのでしょうか。
例えば、学校の先生。福祉施設の職員。病院の医者。家庭の親。
発達障害が個体の問題だとすると、先生や職員や医者や親には、何の問題もないことになってしまいます。
人の間で行われるやりとりには、常にズレという火種を抱えています。
それが発火するかどうかは、〈やり-とり〉双方を顧みてみないと、分からないものです。
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