貧困が、学校という居場所を奪うかもしれない。でも、お金があればいいというわけでもない。
貧困が、学校での居場所を奪い、全く孤立化させることもある。
「みんなができることが、自分はできない。」
「みんなと同じようにしようとすると、お金がかかる。」
周りの友達と同じことができないということは、虚しかったり、恥ずかしかったりします。
それで学校から遠のくこともあるでしょう。
あるいはもっとダイレクトに、
「学校の費用が、もう払えない。」
ということも少なくない。
そして、学校には行かなくなる。行けなくなる。
居場所としての学校
子どもが、居場所としての学校を失うと、どこへ行けばよいのか。
そもそも、家と学校の往復だけで、地域とつながりが薄いのが現代です。
まるきり家に閉じこもる?
もしくは悲しいことに…
事件を起こしてはじめて社会とつながる
そして、事件を起こした後に待っているのは、ペナルティ。
世間の厳しい目。
それでもまだ、社会が自分を見てくれるので、ペナルティを受けてまで事件を起こす子もいるかもしれない。
そうしないと、自分を見てくれる人がいない。
居場所もない。
これは、かなり悲しいことです。
「メシが食えていれば、なんとかなるだろう。」「というか、なんとかしろ。」
「自己責任だ。」
というのは、子どもの育ちが見えていませんね。
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