<産福>連携して、コミュニティ経済を盛り上げる
「農福連携」という言葉をよく聞くようになり、とても素晴らしいことだと思います。
高齢化による耕作放棄地を生かし、農作物を育てて食料自給率を上げ、障害を持っていても活躍の場をつくる。
いいことばかりです。
でも、盛り上がっているのが、なぜ「農」だけなんだ?という不満があります。
障害があっても、支えさえあればできることはもっとたくさんいろいろあります。
だから、「産福連携」でいこうじゃないか。と思うのです。
心身につまづきがあったとしても、個別の支えがあれば、産業に貢献できる。
産業が回せるということは、何かしらニーズに応えているという価値あることだし、稼ぎにもつながる。
稼ぎが多くなれば、消費も大きくなるし、納税額も増える。
納税額が増えれば、公共施策が充実する。
合理的で効率的な配慮をすれば、もっともっと色んな人が、生産性を上げられるはずです。福祉サービスの受給者であるだけでなく、必要な部分を支えられながら、生産者になれる。それはローカル経済を盛り上げます。
福祉事業として支える人を確保しようとすれば、雇用が生まれます。国庫負担のある福祉事業であれば、福祉事業を通して地方への所得再分配機能も果たすので、これもまたローカル経済に寄与します。
障害福祉の歴史の中では、非効率で非生産的な障害者が排除された経緯があるので、どこかしら<効率・生産性>がタブーとされてきました。
でも、だからといって、日々レクリエーションばかり、傾聴されてばかりの毎日が幸せなわけない。能動的な役立ちや貢献や稼働というものを求めてるはずです。
もちろん、やっとこさ家から出て、コーヒーを飲みに来るのでせいいっぱいという人もいます。そういう生活も保障すべきだし、「ただいるだけでいい」という世界を実現すべきだとも思う。
だけども、本人にとっての合理的で効率的な配慮をし、生産性を上げることで、産業に貢献することは、超高齢化社会にとってもすごく大事なことだと思います。
僕は、障害のあるなしにかかわらず、個人や組織の生産性を上げて、地域の活性化をしたいです。
経済成長をあきらめるのはまだ早い。障害があっても、何かしらのつまづきがあっても、稼ぎをあきらめるのはもったいない。
清貧を選ぶ前に、経済成長を目指して、活性化して納税額を上げ、公共施策を充実する道も選んでみようじゃないですか。