地方の活性化は、地方の看取りあってこそではないか
現在、「地方創生」という政策が脚光を浴びています。
「まち・ひと・しごと創生本部」というものが設置されて、本部長は総理大臣の安倍晋三氏。
副本部長は、地方創生担当大臣の石破茂氏。それと、官房長官の菅義偉氏。
人口の急減・超高齢化という課題に対し、
①若い世代の就労・結婚・子育ての希望の実現
②東京一極集中の歯止め
③地域の特性に即した地域課題の解決
という3つの視点から、魅力あふれる地方を創生することを目指します。
僕が気になるのは、「日本列島改造論」が導いたような、どんどんどんどん地方に箱モノを作って、けっきょく無駄になって、ランニングコストが無駄にたれ流されるような、そんな方向にいかないか、ということです。
かつては、1990年代まで続くバブル景気と人口増によって、すぐには問題視されなかったでしょうが、 現代は明らかに人口減少だし、生産年齢人口も減って景気が劇的に上向くとは思えません。
今後、とても苦しい判断を余儀なくされるのは、今までに膨大な人口の生活を維持してきたインフラや公共施設を、どのように収斂させていけるか、ということです。
「無かったものを、作る」というのは、成果として感じやすいです。
「あったものを、無くす」というのは、マイナス評価になりやすいです。
でも、今あるものを維持するとか、作り直すとかって、すごくコストがかかりますよね。
さらに、新しいものを増やす余裕なんて、無いでしょう。
だから、機能の統廃合ということが必然的に起こってくる。
人口の縮小に合わせて、余計な建物や機能は、収斂される。
しかし、生活に必要な機能を必要としている人が、まだそこにはいるのです。
どこに、どれだけコストをかけつつ、どのような生活を実現していくか。
データを見える化しつつ、痛みの伴う議論をしていくことが、必須だと思います。
「カネをひっぱってきた!なんか造ろう!」的なバブリーな発想では、地方は壊れるでしょう。
「地方の看取り」という考え方は、ありだと思います。
"地域活性化"を軽々しく語るな! 消え行く集落の最期を偲ぶ、「ふるさとの看取り方」 | ログミー[o_O]
集団のために、個人がないがしろにされる風潮が強まっている気がしないでもないです。
福祉現場にいるものの実感としては、「ひとりひとりの人生を大事にすることなしに、活性化はあり得ない」と思います。
議論がしやすいプラットホームをつくり、市民の方々が納得できる「地方創生」を実現しなければ、と思います。