自閉症支援の構造化をめぐる対立軸と、僕の癖
自閉症への支援方法で、構造化というものがあります。
構造化とは、その人にとって混乱を少なく、分かりやすい生活するためにレイアウトやスケジュールを整理する手法です。
場合によっては、「職員の関わり方を統一する」という方法もとられます。
利用者の要求に対して、職員ごとに対応が違っていては、利用者が混乱するという理由からです。
声のかけ方すら統一することもあります。
例えば、利用者が「お茶ください」と言ってきたら
職員は必ず、「お茶は、おやつの時に飲みます。」と返事をする。言葉も変えてはいけない。
例えばですけどね。
それくらいの統一をした方が、利用者は安定する。
職員が違っても、いつも同じ答えが返ってきて、実際おやつの時にお茶が飲める。
職員異動があっても、変わらない。
それが安心につながる。
そういう考え方です。
一方で、そんな機械的な対応は、人間的ではないという批判もあります。
自動販売機じゃないだぞ。
職員ごとに、関係性が違って当たり前じゃないか。
信頼関係は、職員ごとに違うものだ。
どちらが正解とも言えないものですね。
僕自身は、ベストプラクティスを求める癖があります。
利用者に対して、ベストな関わり方があるはずで、それをみんなで探そう。そして共有しよう、と。
つまり、関わりの統一化を望む癖があるのです。
それが絶対正しいとも、間違っているとも思いません。
統一することで、貴重な関係性を壊してしまう可能性もあります。
しかし、そのような自分の癖は把握しておきたいと思います。
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